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古事記伝
二十
道奥、書紀斉明巻にも道奥と作、又陸道奥とも作れたり、万葉十四十八に、美知能久と見ゆ、〈能に於の韻ある故に、自於は省かるゝなり、〉和名抄には、陸奥三乃於久とあり、〈古今集顕注に雲、陸奥国と書て、みちのおくのくにとよむなり、歌にはみちのおくとよむお、略してみちのくとも書り、世俗にみちのくにと申すは歌の詞に非ず、ましてむつの国と申す、無下のことなり、陸と雲文字おむつと雲ばと思へり、陸おばみちとよむなりと雲り、陸おむつと雲とは、数の六に此字お借り用ることなり、信に此国名の美知お牟都と訛れるは、是よりぞまぎれつらむ、〉奥は口に対雲(へふ)称にて、道口道後の後に同じ、京より行に、初の地お道の口と雲、終お後とも奥とも雲り、此国は東北の極に在て、実に道の奥なり、〈筑紫にても、大隅薩摩お奥の国と雲ること、檜垣家集に見ゆ、又陸奥国にても、黒川郡より北お奥の郡と雲、大同五年の官符に見えたり、源氏物語若菜巻には、播磨国内にて、此国の奥郡と雲ることあり、〉