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古事記伝
二十三
相津(あひづ)は、和名抄に陸奥国会津〈阿比豆〉郡とある是なり、〈会津、耶麻、大治、河沼お総て会津四郡と雲ならへり、和名抄に大沼河沼に見えず、桃生郡の次にある大沼は別か、白河郡の処に、国分為高野郡、今分為大沼河沼二郡とある、今分より下は会津郡の処にありつるが錯ひたるか、国分てと今分てと重なれることもいかヾなればなり、〉万葉十四〈十五丁〉に、阿比豆禰能雲々、〈禰は峯なり〉古今六帖に、心にもあらでわたりの会津川憂名お水に流しつるかな、後撰集別に、君おのみ信夫の里に往ものお会津の山の遥けきやなぞ、〈◯註略〉さて姓氏録〈難波忌寸条〉に、大彦命、磯城瑞籬宮御宇天皇御世、遣治蝦夷之時雲々とある、是此命の陸奥まで往(いま)しヽ証なり、