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白河古事考

依上、和名抄、白河郡の郷名に依上あり、今は常陸国久慈郡の内に入て保内といふ四十余村あり、中古依上の保とて、保名お以て呼びし故に、今保内といふなり、今文字お寄神とも書す、保内お常陸の疆界に収めしは、恐くは白河結城の領地お、永正のころ岩城氏攻取り、保内の都会大子の城主芳賀氏おも降参たりし事、常陸国誌に載たり、其後又、佐竹氏の有となり、その時より常陸とは成たるなるべし、今此保内より西は、下野の国へ出て、東は常陸の小里の郷に出る処に、堺明神の古祠お存したり、いにしへ国界に明神の祠お建る事、其縁由は如何なる義に拠しや詳ならねども、我奥州のみにて、常陸の国中の界ならぬ地に、堺明神有べき理なし、是また依上の白河郡たりし遺証とも謂べし、