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出羽国風土略記
九平鹿郡
河辺郡の東、雄勝の下に在て、秋田河の水上なり、和名抄に国府あり、平鹿郡行程四十七日下二十四日雲々、三代実録国府在出羽郡といふ事、第一巻に記す、和名抄の趣誤也、延喜式二十四巻、出羽国行程上四十七日、下二十四日、海路五十日と有、是出羽府よりの行程といふ、上下の日数不同の事は、上には東海道、下には北国と定めけるにや、海路五十二日と有は、船路の日和お待て日数お経る故成べし、和爾雅、出羽国名所の内に、平鹿とあり、又国名風土記に、平鹿鷹と有、国史お見るに、当国に官人お置れし事度々なれども、当郡にも官人の居館有て、名お負ひし所と見えたり、庄内物語に、田河郡大山城主武藤家、代々田河飽海平鹿の三郡お領すと有、田河飽海お領せられし事は、誰も能知る事也、平鹿郡お領せられし事は未考、