[p.0186]
出羽国風土略記

出羽国〈◯中略〉国史お考れば、仙北は古山北と書て、郡名とは見へず、三代実録元慶四年二月二日、先是出羽国雲、管諸軍中、山北雄勝、平賀、山本三郡、遠去国府、近接賊地雲々、山北は郡名にあらざる故に、三郡とは書しなるべし、郡名ならば四郡と書べき所也、〈◯中略〉土民、庄内三郡と言るも拠有に似たり、国府より北に当て鳥海山有、〈◯中略〉雄勝、平鹿、山本三郡は鳥海山の後にして、国府より北に当るが故に、山北とは称したるにや、又出羽は、東山道の内にて、三郡は北にあたれば山北といひしにや、近年開板の節用集に、山北お郡数に入ざる事、三代実録に協へり、但東鑑十巻、文治元年正月の条下に、出羽国山北郡とあり、又千福山本共あり、先年彼地の土人より来る文に、仙北平鹿郡とあり、