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出羽国風土略記
八河辺郡
小郡也、秋田郡お裂別たる所にや、五国史等に当郡之事跡不詳、延喜式第二十二巻、出羽国上管十一郡之内に河辺と有、平鹿郡〈南之方〉より流出る河有、郡の内お流て、北の方秋田領へ流入、郡民河の両端に居お構たる地成故に、河辺郡といふ成べし、河筋当郡お過ては秋田河といふ河上は南也、下は秋田也、三代実録、陽成天皇元慶二年、夷賊討伐之為に、官兵お下し給ふ条下に、凡秋田、河南、拒賊川北と有、川南は河辺、川北は秋田也、河辺共秋田殿領也、其内亀田殿領一け村有、向野村といふ、亀田領猶田村の下に北山村といふ有、河辺郡に属す、戸島村〈新庄領堺村へ四り久保田へ三り有〉佐竹殿御上下の節、山宿の殿舎有、