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出羽国風土略記
二田川郡
当時二十二組あり、内五組は御公料也、所謂二十二組は、田川組、京田組、本郷組、青竜寺組、島組、田沢組、黒川組、由良組、温海組、淀河組、加茂組、横山組、藤島組、添河組、狩河組、清川組以上、〈酒井左衛門尉殿領地也、組々に大庄屋有、〉松山組、〈酒井石見守殿領知也〉余目組、上余目組、下余目組、丸岡組、大山組、〈余目以下五組〉〈御公料也、其内船料も有、末に記、〉以上二十二組也、是お五通とす、京田通、山浜通、希川通、中河通、狩川通是なり、〈◯中略〉羽源記五巻、東朝日山軍酒内出張の条下に、飽海田川三庄三郡の兵共と有、三郡といふは、近代は田川櫛引(○○)、飽海三郡とも雲り、慶長四年、飽海観音寺殿、小助河への書状にも、櫛引郡と有、