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東遊雑記

八日〈◯天明八年六月〉大沢出立、三里にて米沢(○○)城下に休、城主上杉弾正大弼侯、十五万石、城は平城にして、櫓お低く、寒国故に瓦は用ひがたきによりて、みな〳〵檜皮の家根、壁も板と見ゆ、予〈◯古河辰〉思ふに敵お城外迄も引請ては、火災の防ぎ成まじきやふの城なり、定て心得も有べし、市中凡三千余軒、大概の町にて豪家もある所也、然れども板葺草ぶきの家造りゆへに、上方筋の町と違ひて、きれいなる事なし、制度は何となく謙信侯の遣風残りて、政事正敷聞へ侍る也、近郷の郷はひろ〳〵として、東西と南の方は嶮山并び立、奥州福島より越ゆるは、板谷峠と雲し三里の間嶮しき壱筋道にて、一人横たわれば万人お止るの所、南の方は会津より越ゆるお、〈出羽の方、綱木峠と雲、奥州の方、檜原峠と雲、〉此山道の嶮阻、筆紙に尽しがたし、峯お登りては雲に入かと思ひ、谷に下りては金輪際に入かと思ふ、蜀の桟橋たりとも是ほどには有まじと人々雲し事なり、予按るに、奥州会津の地利は、出にはよく、敵お防ぐにはあしく、米沢は出るにあしく敵お防ぐによし、双方よき事はなきものなり、両所とも寒国ゆへに、十月頃よりは他方の往来しがたく、何事も不自由の事にて、東西ともに海おさる事三十里、海の生魚なく、産物には、蝋とたばこ名産にてよし、予九州お遊行せし頃、六月薩州にありしに、貴賤となく夏中は裸身にて、中以下の婦人は、他村へ行にも二布計にて裸にて行事也、予是お見て辺鄙の地、又夏中暖気暑気のたへがたき事には大ひに驚し事なるに、今年の六月は此地に来りて、冷気の強きに驚し事也、朝夕の寒さは、江戸上方筋の十月霜月の時候に同じ、猶年にも寄る事にや、海内狭しといへども、かくのごとし、中華おおもふべし、此辺の稲のうへやふ中国におなじ、米の生ぜる事三百坪に直し、四斗五升入五俵宛はありと、土人物語り也、俗にいふには、稲作は暑気の強からざれば生ぜず、冷気の地には至てあしき事にいへども、奥羽の二州寒国にて、米国なるお以て知るべし、土地によるものならずや、