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人国記
若狭国 若狭国之風俗、人の気十人は十人一和せず而、思々の作法也、今日親しみ有て、明日は其親みお離れて、其人の悪儀お人に触知らするの類なり、誠に九思一言之語に甚だ違たる国風也、さるに仍て、下と而は上みお欺き、気の怠り有、上より其罪おとがめられては己が科お隠し、非道のやうに雲なし、我が非お不知にも非ず而、如斯なる事まことにいやしき風俗也、然ども、取廻し利発成国風故に、差当る問答などには、如形弁舌能く、一花は気勢に随て振舞ふといへども、根おとけてしまる意地無之、中途に而止むの類也、されども伊賀伊勢両国にはまさるべきか、三方郡は江州之風俗也、〈◯中略〉 右北陸道七け国之風儀区々也といへども、若狭越前之風儀、一入不好也、其善悪お数へて、虚実之風儀お得道お而是お治とも、是お取とも工夫而、其僻する処之者お、正道になすべきもの也、唯其名目名聞に従て是お執行ば、国に姦佞之人、月に従ひ年に積て、終に益正儀お可失也、