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日本鹿子

同〈◯越前〉国名所之部 有乳山(あらちやま) 海津の宿より一里北のかたなり、京より丑寅にあたる也、 雲かヽる有乳の山おかりがねの霧にまどひていかヾまつらん 矢田野(やたの) 広野(ひろの) 大野(おほの) 有乳山の北に道の口といふ宿有、それより北へ一里ばかり行ば矢田野なり、敦賀の津へ出れば、いづれも西のかた也、新古今冬の歌に、人丸、 矢田の野にあさぢ色付あらち山みねのあは雪寒くぞあるらし 阿岐師(あきし)の里 あらち山の西一里計行て此里有、河内の国にも同名あり、 あらち山雪げの空に成ぬれば阿岐師の里に霰ふりつヽ 角鹿(つるか)山 浦浜有之、あらち山の北也、道の口より寅のかたへ行は越前の府へ行也、つるがは北へ行也、世俗に、つるがの津と雲也、当津気比の明神の社あり、社西むき也、山は東にあり、 梓弓つるがの山お春越てかへりし雁は今ぞなくなる 笥飯海(けいのうみ) 角鹿の浦浜おいふ也、つるがに気比明神の社あり、仲哀天皇此所に幸の時、行宮おたてて笥飯の宮といふといへり、しかしより此所の浦浜お、気比の海と総名およびけるといへり、けいの海よそにはあらじあしのはのみだれてみゆるあまのつりふね 越(こし)の中山 有乳山よりうしとらにあたりて、木の目峠とて大山お越て、越前の府へ出るなり、是お中山といふ也、東へ行は玫路山(かへるやま)といふあり、 かりがねは帰山にや迷ふらん越の中山霞へだてヽ 玫路山(かへるやま) 此山は西東へ遠し、海道は南の梺也、 かへる山ありとは聞どはる霞立別なばこひしかるべし 五幡(いつはた)山 帰る山の近辺也、新古今別の歌に、伊勢、 忘れなん世にも越路の帰る山いつはた人は逢んとすらん 関原(せきはら) 帰山の梺也、美濃国にも同名有、 鶯の鳴つるこえにしきヽれて行もやられぬ関の原かな 浅水橋(あさむつのはし) 黒戸の橋 世俗にあさう津といふ所也、此所より福井へ二里あり、 あさむつの橋は忍びて渡れどもとヾろとヾろと鳴ぞわびしき たれぞこのね覚て聞ばあさむつの黒戸の橋おふみとヾろかす 玉江(たまえ) あさう津といふ所に江川あり、是お玉江といふといへり、津の国に同名有、玉江こぐあしかり小舟さし分てたれお誰とかわれはさだめん