[p.0261]
加賀国は、かがのくにと雲ふ、北陸道に在りて、嵯峨天皇弘仁十四年二月、越前国江沼加賀二郡お割きて建つる所なり、東は飛騨、越中、西南は越前、北は能登に界し、西北は海に面せり、東西凡そ十里、南北凡そ十八里、其地勢は、東方山岳連宣し、西北するに随ひ、漸く平野お開き、国形殆ど三角状お成せり、此国は古へ国府お能美郡に置き、江沼(えぬま)、能美(のみ)、加賀(かが)、石川(いしかは)の四郡お管す、能美は江沼お割き、石川は加賀お分ちて置きたる所にして、共に弘仁十四年六月の事とす、延喜の制、中国に列す、後世加賀郡お河北郡と改称す、明治維新の後、新に金沢市お設けて石川県おして一市四郡お治せしむ、