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三州志来因概覧
三能登国郡郷来因
能登は、皇華の乾隅尽境、邃古越洲中の一郡名にて、蕞爾たる湾海の扁国也、其袤才に七里〈自宇出津至輪島〉以内に止れども、瀛中へ延出すること二十七里強、〈此州尾名三崎、以有金剛崎、宿崎、遭崎之三也、非越後、佐渡、能登三崎三会之謂也、蓋自漕崎抵佐州、水程三十五里、方位指寅三分、(佐渡国図に、自佐州小木湊至能州漕湊四十里、享雑記に、小歌に、佐渡は四十九里波の上と欧ふは、自佐州至輪島水程お雲とす、)或雲、越米山、佐神戸山、能山伏山為鼎足、按非也三山各有遠近之異、〉其分野は渤海国の也南に方ると雲、〈安積覚曰、渤海之南海、即我邦之北海、故唐書渤海伝、言南海之昆布、元正紀、蝦夷須賀君古麻比留等言、先祖以来貢献昆布、常採北地是也、〉而して其民柔直、其俗龐朴〈人国記等説不可取〉太古結縄の遺美今に在す、蓋し旧事紀の所謂能等此国也、