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三州志来因概覧
三能登国郡郷来因
鹿島(○○)〈是亦上文に所謂旧事紀の能等国は、即此郡也、和名抄為之能登郡(○○○)、式に此郡能等比咩神社、能登生国玉比古神社あり、能登郡の名是に本づくならん、中古より能登郡の古名お失ひ、鹿島郡と唱へ来るお、寛文十一年、松雲公(前田綱紀)命じて本号の能登郡に改復あり、其後元禄十三年、再び命あつて鹿島郡とす、按るに、鹿島とは、万葉十六に、所聞多禰と書て、かしま子と訓ず、所聞多の三字、かしましの義お以て訓とす、(中略)倭名抄能登郡の管郷に加島あり、又文治二年頼朝公より長谷部信連へ賜はる書に、能登郡加島あり、又万葉集に香島あり、是等鹿島の号の起本成べし、〉