[p.0304][p.0305]
能登めぐり
夫古代は、郡司庄司郷司の名ありて、郷庄お貢物捧て、刀禰宿禰抔も司の名なり、今は郡里と称るまでなり、然といへども、能登の国は傍辺にや専ら郷庄お唱ふ、又刀禰といへる百姓今も多し、又知行わりも、今もむかしも余り違はなしと雲へども、時代に唱へ替れる、往古は三十町五十町、三十段五十段として知行とり、夫より何百貫何千貫と称せり、凡長さ三十歩お以広さ拾二歩お一段とす、十段お一町といふ、上田は十段に五百束の公田あり、一束は米五斗、猶中田下田の差別あり、貫知行は右田五段お一貫として、古へは永楽銭、拾文に米四合八勺売之、後は永楽拾貫各四斗八升、一百貫は四拾八石也、今の知行草高は、四つ八歩の免に平均して、米四十八石お百石と名付て、此古法お以也、