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越中国は、えつちゆうのくにと雲ひ、旧くは、こしのみちのなかと雲へり、北陸道に在りて古の越国の一部なり、東は越後、信濃、南は飛騨西は加賀西北は能登に界し、北は海湾お抱く、東西凡そ二十一里余、南北凡そ十九里余、其地勢は東南、信濃飛騨に接する所、大山、巨岳相連り、漸く西北するに至り、平野開展し、大小の河流之お灌漑す、此国は、文武天皇大宝二年、所管の四郡お越後国に移し、聖武天皇天平十二年能登国お合せしが、孝謙天皇天平宝字元年、復た之お分置せり、古へ国府お射水郡に置き、礪波(となみ)、射水(いみづ)、婦負(ねひ)、新川(にふかは)の四郡お管し、延喜の制、上国に列す、明治維新の後、新川郡お分ちて上下の二郡とし、更に礪波郡お東西二郡に分ち、上新川郡お割きて、中新川郡お置き、射水郡の一部お割きて氷見郡お置き、凡て八郡と為し、新に富山、高岡の二市お設け、富山県おして之お治せしむ、