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太平記
三十九
諸大名讒道朝事附道誉大原野花会事 翌年〈◯貞治五年〉七月に、道朝俄に病に被侵逝去しければ、子息治部大輔義将、様々に歎申されけるに依て、同九月に、宥免安堵の御教書お被成、京都へ被召返、無幾程越中の討手お承て、桃井播磨守直常お退治したりしかば、軈て越中の守護職に被補、是より北国は無為に成にけり、