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三州志来因概覧
一越中国郡郷来因
射水の二字、国史に載て正名也、延喜式等皆然り、旧事紀には伊弥頭と見ゆ、万葉歌詞伊美都(いみつ)、又伊(い)美豆(つ)の借字お用ゆ、〈大成経作射蛟、〉蓋古へ唯国訓に従ひ書す、因に記す、中古以来、氷見町辺は九十箇村の間お氷見郡内、或は氷見庄と唱ふ、〈◯中略〉今も其遺俗にて、二上山お界ひ、北より西お都て氷見庄と唱へ、南より東お中郡と私唱す、中郡の名目も、天正中より見ゆ、岡本慶雲が末森記には、総て射水お中郡と書す、然れば其比の通号と想像す、是おも松雲公〈◯前田綱紀〉寛文十一年、射水郡の正名に改復お命ぜらる、