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三州志来因概覧
一越中国郡郷来因
婦負の二字、正名也、〈◯中略〉天平の季、大伴家持婦負郡渡鸕坂河時作歌一首、万葉〈十七〉にも載す、婦負拾芥抄めひと訓ず、延喜式、和名抄並に禰比(ねひ)と訓ず、但し婦お禰と訓ずる証例未考、万葉の売比(めひ)と雲ぞ正訓成るべし、即ち売比能野とも、売比河とも詠出す、平春海の説には、負は老女なれば、子びたる女と雲義かと也、又青木敦書の郡名考に、婦負お当時官家に用る文書に姉負と書とあり、之によれば禰比ならん、然れども姉負、古書に於て未考之、今俗或はめぶと訓ず、亦非なり、