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越後国は、えちごのくにと雲ひ、旧くはこしのみちのしりと雲ふ、北陸道に在り、古の越(こし)国の一部にして、其の北端にあるお以て北越の称あり、東は岩代、西は越中、南は上野、西南は信濃、東北は羽前の五国に界し、西北一帯海に面せり、東西六十二里、南北凡そ十七里、其地勢は、東北即ち岩代羽前の境界には大山脈横はり、信濃川は西南より入りて国の中部お貫流し、大小の河川亦此中部に注集し来りて平野お開き、一大沢国お成す、信濃川の海に落つる所、即ち新潟港なり、近世、上越後、下越後、〈米山お以て界す、〉の名あり、此国は文武天皇大宝二年、越中国の四郡お併せ、元明天皇和銅元年に新に出羽郡お置き、同五年、出羽郡お分離して出羽国と為す、聖武天皇天平十五年、佐渡国お併せしが、称徳天皇天平勝宝四年、佐渡国お分置せり、古へ国府お頸城郡に置き、頸城(くびき)、古志(こし)、三島(みしま)、魚沼(いおの)、蒲原(かんばら)、沼垂(ぬたり)、石船(いはふね)の七郡お管し、延喜の制、上国に列す、後世沼垂郡お廃して蒲原郡に併せ、三島(みしま)郡お刈羽郡と改称し、更に古志郡の一部お割きて三(さん)島(たう)郡お置けり、明治維新の後、頸城郡お東、中、西の三郡に、魚沼郡お南中、北の三郡に、蒲原郡お東、西、中、南、北の五郡に分ち、古志、三島、岩船、刈羽お併せて、共に十五郡と為し、新に新潟長岡の二市お設け、新潟県おして之お治せしむ、