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越後名寄
六島
粟生島(○○○) 島の長さ南北十七八町、総周り一里半余、東西に二所村里有、各人家三十軒計宛有之、旅船の宿舎二軒有、上泉水屋と雲、瀬波の港より海上七里海有、沜馬卸鼻より海上四里余なり、海路往来の船の泊処能間、有奥乗船難風に会て、多くは皆此島おとり、危きお免れ、不通の大荒にも、援なる間にては船略動計にて、波の打かくる事なし、僅に小き島なれ共、難船お助る事若干算へ尽すべからず、最愛たき島也、常の産は、山畠お耕作し、漁お世渡とす、又小船お造作し乗る在、牧馬有、一年交りに峯お追越て、駒の棲し止に耕作し、粟黍お蒔植る、馬は小なり、観音寺と号し曹洞派有、本尊千手観音也、長五尺計、