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越後名寄
六海
越中の国堺市振の駅より、出羽の国境府屋の駅迄国半片、頸城郡、刈羽郡、三島郡、蒲原郡、磐船郡五郡に渡り、凡八十有余里、西北の方荒海也、南海に異りて潮夕の漫干もなく、隻折節流るヽ計也、猶春夏の間、潮の干る時も有けれ共、定まれる時刻なし、三月より八月迄は海上静にして、船の往来も心安し、夫過冬三月、正二月迄は波風荒く、遠き船路乗がたし、行程九十里に及ぶ、浦沜なれば大小となく船お乗て世お渡る有、或は塩お焼て辛き身おすぎるも有、其中に漁りこそ最便なき業なれ、海底に鱈魚場と雲へるは、一段低く川の形に深き処有、鱈魚の居所故名付たり、猶外の魚も有、阿羅鰕、比目魚等多し、至て深陰なる底下故に、こヽなる魚何れも性不宜、佐州へ渡海の間、第一深き所、凡三百尋有と雲へり、仍佐州御金荷渡る日は、箱に三百尋の浮縄お付るとかや、