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伊佐早文書
越後国おく山の荘のうち、黒河条の地頭しきは、円心かくべちさうでんの所領なり、しかるおかりやく三年八月のヽち円心所労の時、わらはにてうとのせうもんお相そへて、一円にゆづりたびて候、そに外題安堵お申給て、知行さおいなく候お、なんほの三郎えもんのくら人しげさだ、おいたるうえ、心ざしあさからざるによりて、さヽき入道のゆづり状にはんおくはえて、かの所お一えんにゆづり候ところ、又わらはの状おとりそへて、かさねてゆづり候、わらは一ごの外は、はんぶんのねんぐおさたして、上げてたび候、いしんへんかい候まじき事はしげさだのせい状のしやうに見へて候うえは、心やすく候べく候、一ごのうちは、一えんにてうとの証文おあひそへて、知行さおいあるまじく候、この外いかなる物出きたりて、しさいお申といふとも、とかく申おこなはれ候べく候、よつてじひちの状如件、 けんむ弐年〈壬〉十月二十五日 平氏〈花押〉