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東遊記

七不思議(○○○○) 越後国弥彦の駅より南に入る事五里にて、三条といふ所あり、甚繁華の地なり、此三条の南一里に、如法寺村といふ所あり、此村に自然と地中より火もえ出る家二軒あり、百姓庄右衛門といふ者の家に出る火もつとも大なり、〈◯中略〉其昔はいつのころより出そめしと尋るに、正保二年酉三月、此家にてふいごお吹しことあり、其時ふと地中より出しこのかた、今天明六年丙午の年に至り、百四十二年の間、一日も絶ることなく出るなり、初て出し時に、挽臼おふせしかば、是お取らばもしや絶ることも有べきやと気遣ひて、此家普請などある時といへども、此挽臼お動かすことなしといへり、誠に数代が間、此家のみ油火お用ることなく、又少しの物おば煮、或は焼にも事足りて大なる宝といふべし、〈◯中略〉 一臭水(くさみづ)の油は、〈◯中略〉此油灯火に用うるに、松脂(まつやに)の気ありて甚臭し、故に臭水と名く、灯火の光りは甚明らかなれど、油のへること速にして、しかも少し臭気あれば、価は常の油の半ばかりとぞ、然れども此所より毎日数十斛の油出るゆえ、此国にては、多く此油お用う、誠に地中より宝のわき出るといふべし、されば此辺の人は他国にて田地山林などお持て家督とする如く、此池一つもてる人は、毎日五貫拾貫の銭お得て、殊に人手もあまた入らず、実に永久のよき家督なり、此ゆえに池の売買甚貴し、今年も油よく涌池一つ払物に出たりといひしまヽ、いかほどの価にやと尋しに、金五百両なりしといふ、〈◯中略〉 一鎌鼬(かまいたち)といふことあり、是は越後の国中に、いづれの所にも折節有る事也、老少男女の差別なく、面部又手足抔お太刀にて切りたる如く、おのれと切るヽ事なり、〈◯中略〉 此事越後にも限らず、奥州、出羽、佐渡などにもありといへば、北地陰寒の瘴毒、人にあたるにやといふ、〈◯中略〉 一波(なみ)の題目(だいもく)といふは、寺泊りの海中にあり、むかし日蓮上人佐渡へ配流の時、海上に書給ひし、妙法蓮華経の文字、今に残りて、法華信心の人、船に乗りて其所に至れば、波の上に題目あらはるヽとなり、 一逆様竹(さかさまだけ)は、むかし親鸞上人此国へ配流の時、携へ来り給ひし杖お、さかさまに地にさし、我説所の法、世に弘らば、此杖の竹再び栄ゆべしといひ置給ひしに、其杖さかさまながらに枝葉しげり、其後其根に生ずる所の竹、皆逆様なりしとなり、今は其跡のみ鳥屋野(とやの)といふ所に残れり、 一八つ房の梅は、文田(ぶんだ)と雲所にあり、一つの台に花実八つ咲みのる不思議のものとて、もてはやせしに、近き頃は座論梅(ざろんばい)とて、上み方にも多くなりぬ、是等おあはせて七不思議とはいふなり、