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佐渡志
一形勝
雑太郡(○○○)、東に長谷小倉の山々続きて、北は名にしおふ北山の峯秀でたり、其西の麓こそ相川の銀山にはありけれ、浦は西南に折れて、南に入海の眺望あり、西は大海その限お知らず、象緯家が言によるに、まさしく異邦の地なるべし、 加茂郡(○○○)、東に米山、国見山あり、北に大山、巓山、金剛、檀特の諸山兢ひたてり、東のはづれ水津の岬より南に続ける浦々は、越後国と海お隔てヽ相のぞみ、北のはづれ鷲岬の弾野といふ所よりは、出羽の山々仄かに見えて、中にも聳へたるは鳥海山なり、西の方、海の限りお知らざることは、雑太郡に同じかるべし、此郡に湖あり、海お隔つるに隻一条の長洲お以て、其洲のなかばに橋ありて、水と潮と相通へるさま、殊にめづらか也、 羽茂郡(○○○)、山必しも高から子ど慶泰山、新倉山のたぐひ、観つべき所殊に多し、加茂郡に続きたる方は、近く越後の浦々お望むこと亦同じさまなり、三岬といふあたりより、遠く越中能登の山々までお望む、此郡に小木の浦あり、海門とざせるが如く、浪常に穏なれば、国々の船ども来り湊ひて、有お以て無に易ふ、此国の咽喉などヽもいふべきにや、但路程の長短、海巌の険峻にいたりては、たとひ筆力おついやすとも、容易く其真お述ることあたはず、