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日本地誌提要
四十三丹波
沿革 古へ国府お桑田郡に置、〈遺止、今船井郡屋賀村にあり〉、鎌府の時、土肥実平守護の事お行ふ、建武中興、参議源忠顕お国司に任じ、碓井盛景守護代となる、足利尊氏の反する、仁木頼章おして州内お徇へしめ、頼章の子義尹お以て守護となす、正平中、山名時氏吉野に帰順して本州お略定す、既にして山陰諸州お以て畔き、足利義詮に降り、因て守護お領す、時氏卒して第四子氏清職お襲ぐ、元中八年、謀反して誅に伏す、将軍義満、細川頼元お以て守護となし、子孫に伝ふ、五世政元に至り、高国澄之澄元お義子とし、守護お澄之に伝ふ、永正四年、政元其下に殺せられ、澄之代り立つ、澄元入て乱お討じ、澄之お殺す、明年、高国将軍義稙お奉じて兵お挙げ、澄元お走らし、其地お併す、大永中に至り、八上城主波多野植通、〈多紀郡〉高国の令お奉ぜず、近郡お抄略し、遂に自立して州主と称す、伝へて秀治に至る、天正七年、織田信長、其将明智光秀おして来り伐たしむ、光秀秀治お誘殺し、悉く州内お平らぐ、信長光秀お封じ、亀山に治す、十年、光秀誅死し、豊臣氏義子秀勝お封じ、福知山に鎮せしめ、〈拾万石〉前田玄以お八上に封ず、文禄中、秀勝卒して嗣なし、福知山お小野木公郷に賜ふ、〈三万千石〉関原役後、公郷の封お没し、有馬豊氏に賜ふ、〈後に朽木植昌〉玄以の子茂勝、喪心して収封せられ、松平康重之に代り、徙て篠山に治す、〈後に青山忠朝〉其余、州内封お受る者亀山、〈岡部長盛、後松平信岑、〉園部、〈小出吉親〉柏原〈織田信休〉織部、〈九鬼隆秀〉山家〈谷衛好〉凡七藩、王政革新、改て県となし、又廃して京都府及豊岡県より兼治す、