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但馬考
一制度
風土 土地の風は土地にあらず、人の風によりてしらるヽなり、中古は国府気多郡にあり、衣冠の徒来りてこれお治む、其文物の盛なる思ひやりぬべし、鎌倉よりこのかたは、守護地頭と称するも、武冕の人にあらざるはなし、且其守護なるもの俸禄甚軽し、太田氏の類わづか出石山の中にあり、別に風声お樹るにたらず、百年以来、出石豊岡の大藩、巍然として文献の域となる、これ最明寺殿のしらざることなり、大抵人おほき処は、風俗都かにして情は軽薄也、人少き地は風俗鄙くして情すなほなり、たヾ言ひのみぞ、にわかにうつしがたしと見ゆ、柴の折れお、但馬にては木なぐせと雲、わけもないといふお、つがもないと雲など、男重宝記にかきおけり、