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因幡誌

国立位〈並に〉土界 京お去る事、北へ六十三里なり、国の接壌は、但馬の西、伯耆の東に隣て、東南は播磨、南西は美作、北は大海也、其土界東より巽に並て、巨濃、法美、八東の三郡あり、巨濃の海畔嵐嶺の峯通より奥は、鳥籠尾嶺、矢倉嶺、蒲生嶺、牛が峯に至て、但馬二方郡の界とす、其並に法美に扇山、〈無通路〉八東に豹山あり、同国七美郡の界なり、又戸倉嶺、〈山の名管山、四箇山、〉又大通嶺、小通嶺あり、〈小通り或は若杉峠、山の名池田山、又雲沖の山、属智頭八東両郡、〉戸倉大通は播磨国宍粟郡の界也、小通より南は美作国の界にて、智頭郡に人坂嶺あり、〈号駒還山、小通り以下為美作国吉野郡界、〉其並に白坪嶺、〈或は雲右手嶺〉草原嶺、黒尾嶺あり、〈或は雲、真桑峠属椰山、以上為同国勝北郡界、〉又物見嶺、物見坂あり、〈或は堂鋪峠属橄欖山〉佐治郷に大株香嶺、〈或は雲、険所峠、〉大杉越八本嶺、〈以上為同国東北条郡界、〉又田角嶺あり、〈同国西西条郡界、以上属佐治郷、〉其西三角に峙たる高山お三国山と号す、因作伯の三州に跨たる大山也、是より西は気多郡の域に、佐谷嶺、滑石坂、河上越西坂〈或は雲、境尾、〉等の険あり、各伯耆国河村郡の界なり、国の地形は大抵四方にして八上郡お中位とす、其接壌邑美、高草二郡は、巨濃気多の間に並て、共に北に宣て大海に至る、行程諸書に南北二日とありて、東西お注さず、今其里数お度るに、東は播磨境戸倉嶺より、西は伯耆境西坂嶺まで、百三十六里百十四歩、南は美作境人坂嶺より、北は但馬境嵐嶺に至て、百十里百九十九歩、是古の法に拠ものなり、人国記所謂当国は海近して山深しと、凡三方列岳聳、山脈険く摎て、一方は荒磯なり、地利猶天府四塞と謂べし、