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因幡民談

因幡国郡郷村里広狭路程等事 一当国は〈◯中略〉四方なる国にて西南北広狭大略みな相同じ、国中指わたしの通の行程十三四五里の内外たるべし、八上郡最勝寺お以、国の中とすといへり、此所より四方へ大がい七八里ばかり也、 一当国郡の数、古書には七郡とあれども、近代用る所は八郡也巨濃法美、八東、知頭、邑美、高草、気多八上也、其地形東の端海浜は巨濃にならび、南の方は法美郡法美にならび、南の方は八東郡八東にならび、西の方は知頭郡の法美にならび、西の方は邑美郡邑美にならび、西の方は高草郡高草にならび、西の方は気多郡、知頭の北、八東の西、法美の南三郡にはさまれたるは八上郡、八上と邑美は国の中にあり、右以上八郡也、八郡の内広狭知頭八東大也、次に高草気多大也、巨濃はすこしちいさし、次法美ちいさし、次には八上ちいさし、邑美はきはめて小き郡也、知頭は深山のみ、平地の所なし、気多には平地少々あり、高草には平地猶多し、故に田租の高第一におほし、八上も平地の所すくなからず、法美にも平地あり、邑美は山なく平地のみ也、巨濃にも平地少々あり、巨濃高草気多三郡は海浜ありて、炉斥の地少々あり、〈◯中略〉 一国中させる大河なく、四方大形嶮しき山のみにして、平地壙野の所きはめて少し、〈◯中略〉国の北辺海浜多といへども、曲浦廻島すくなき故、魚類必多からず、又用に乏きこともなし、〈◯中略〉 一国中田土磽瘠の地多して京畿膏腴の類にあらず、故に米穀稼嗇ゆたかならず、租税の免高からず、〈◯下略〉