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因幡誌
五郡郷
八東郡〈東西八里南北一里半〉 一当郡は元八上郡お分たる郡の名なり、故に古書に載る処、因幡国七郡の内八東と雲ふ郡なし、八上は往昔国中の大郡にて十二郷お統たり、然るに中古是お割て二郡とす、倭名抄所謂八上郡条下に、若桜、丹比、刑部、曰理、日下部、私部、土師、大江、散岐、佐井、石田、曳田、〈以上十二郷〉是なり、而して其東の方、若桜以下私部以上の六郷お八東郡とす、雲意は八上の東郡と雲ふ義なりとぞ、又西の方土師以下六郷は、旧の名八上郡と雲へり、是何れの世の制度にて是お分け侍りしにや、郡中の古刹、新奥寺の什物、安元三年の筆記に、八東川と雲ふ文出たれば、其比既に二郡たりしと見ゆ、