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玉勝間

石見の海なる高島 石見国の浜田の海中に、高島といふ島あり、浜田より五里なりといへど、七八里ばかり有とぞ、此しまめぐり五里ありて、四方のめぐりは、いづこも〳〵みないみじく高き岩にて、岸なる海深く、船よせがたし、もし船はつれば、岩のうへに大きなる材おたてヽ、大綱もてそのふねおつりあげおくなり、然せざれば浪風に岩にふれて、船くだくるよしなり、此島山林木竹多し、畠のみ有て田はなし、人の家はたヾ七戸ありしが、今は十戸に分れたりとぞ、兄弟おぢめひなどもとづきて、一戸に三夫婦四夫婦などもすめりとぞ、かくて此島には、鼠のいと〳〵多く有て、物おくひそこなひ、人おもくふこと、よのつねならず、一とせ浜田より、人おつかはして、からせられけれどもかりえず、力およびがたかりしとぞ、いとあやしきことなり、さてこのしま人、男も女も髪あかく、いと賤しげなるさまなり、米もなく、牛馬などもなし、みつぎ物には、たヾ鰤お浜田へ奉る、はまだは此島の事とるつかさ人も、代官とて有とぞ、さて此島に祇園宮といひて、氏神とする社有、いかなる神お祭るにか、さだかならず、其祭にとなふる詞あり、その詞、ひろたけの、楠の木は、かれてもにほひ、かうばしや、おやどりあれや此宿の、さのみはないそぎめされそ、かく唱へて、楠の木お祭るとなり、かの国人小篠御野が物がたりなり、