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播磨名所巡覧図会

高砂〈◯中略〉慶長六年、丑年当村祠造営の時迄は、民家は今洲にありて、官家の傍尾上高砂の間也、其後官家廃して民家は残り、諸国の通商大場の湊と成りて、大夏つらなり、上に川あり、下に海あり、万船の出入に便よくて遠く交易す、元より本邦出群の名所なれば、名にしおふ風流の名家も多し、今松林お倉庫に換て風藻お改めしは、惜むべきに堪たり、〈◯下略〉