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古事記伝

吉備児島、吉備は後に三国に分る、〈◯中略〉吉備中国、書紀仁徳巻に見ゆ、〈此はそのかみ既に三つに分れてありしにや、但し此の後も多く吉備国とのみあり、天武上巻に、吉備の国の守なる人見えたるは、三国お統たる守にや、又同巻に吉備太宰と雲職も見ゆ、〉又和銅六年に、備前国の六郡お分て、美作国とせられたり、名は黍(きみ)より出たるなるべし、〈和名抄に、黍は木美(きみ)とあれども、美(み)と備(び)は古へ常に通はしいへり、〉