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芸藩通志
九十六備後国御調郡
疆域形勢〈風気附〉 御調郡は万葉集に水調郡と書けり、御水、文字異なれども読同じ、神功皇后当郡長井浦に到り給ひし時、木梨真人といへるもの、御船へ水お献しより水貢といふ義にて、水調の郡名お得たりともいひ伝れど、其事国史に見へず、延喜式、倭名抄等の諸書、皆御調に作れり、当郡は今の藩府広島の東十五里にありて、東北は福山領に接く、広六里余、東は後地村より西は泉村に至る、海上に、因島、向島などありて、皆当郡に属す、四隣、東は沼隈郡東北は蘆田郡、〈二郡共に福山領〉西は豊田郡、〈安芸国〉北は世羅郡、南は海上にて伊予国に接く、三原尾道も皆当郡の内なれども、所管異なれば地志もまた別にす、今後地村お以て郡本とす、榜示嶺に、福山領分界の石表お立、番所お置る、〈◯下略〉