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芸藩通志
三十三備後
尾道 疆域形勢 尾道町は御調郡の東南にありて、一大市聚たり、藩府広島お去る十九里半、広十町余、袤五町余、尾道の名義詳ならず、おもふに此地もとは海涯の地甚狭く、山足にそひて往来すれば、山の尾の道と雲お以、名づけしにや、土人おもへらく、地もと玉お出す古歌に詠玉浦これなりと、海東諸国記に、尾路関とあり、図書編、三才図会、登壇必究、並に和奴密智と書す、皆此地お雲なり、別に市令お置て是お治む、市後及び左右は皆郡村の所管なり、東西北は背後地村の地摎りて、村の諸山列り、南は海にて向島と対す、その間才に六町お隔つ、この地山お負ひ海に臨みて、人家櫛の如く立ちならび、中に官道あり、縦横に街巷お分つ、源貞世、道ゆきぶりに、北にならびてあさぢ深く、岩ほこりしける山あり、ふもとにそひて家々ところせくならびて、網ほすほどの庭だにすくなしといへり、貞世の時既にかくのごとし、今は実に尺寸の地おあまさず、諸国往来の舟船こヽに輻湊し、百貨交易便お得て富商多く、西国の一都会なり、