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芸藩通志
十一備後
三原府 疆域形勢三原府は、御調郡西のかたにありて、別に一域市おなせり、もと木梨庄に属す、今の藩府広島お去る十六里、和名抄に柞原(みはら)〈美波良〉と出これなり、柞おみと読む、其義詳ならず、按に字書に除木日柞とあれば、或いは神祠のために、草木お芟除て、神の御原とせしよりいふならんか、国史に載る清御原の類考合すべし、木梨庄といふも、無木庄なるべし、又此地に八幡原の名もあれば芟除の義おもひあはさる、姓氏に御原三原あり、此地の名後世専ら三の字お用ふれど、古は御の字お用ひしも知るべからず、地の疆界古今のかはり考へがたし、今西野村の内に三原さめとよぶ地あり、西の界なりしにや、〈◯中略〉今は隻城市の地のみお三原と呼ぶ、其地広廿一町余、袤は東にて五町余、西にて五十町余あり、郡内、東野、西野、木原、山中の四村、豊田郡須波村、此五け村お合せて三原城属とす、通じて計れば広二里余、東は木原村より、西は西野村に至る、袤三里余、南は須波村より、北は山中村に至る、〈◯中略〉地の形勢、海お前にし山お後にし、東に米田山、鉢峯あり、〈◯中略〉南は海にて、潮水城おめぐり、西にいり海あり、〈◯中略〉此地海に面ひ山お負ひたれば、風気和暖なり、海水常に穏にして、朝に風あれど、夕は必なぐ、俗にこれお三原夕和(ゆふなぎ)といへり、〈◯下略〉