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芸藩通志
一安芸
郡邑建置沿革考 安芸国郡お置こと古今大抵八郡なれど、其名其地は同じからず、〈◯中略〉其次第お考るに、東お首として左施して北東に終る、古の沼田郡は国の極東にありて、賀茂安芸に続て西す、中古安芸郡お分て二郡とし、南お安南郡、北お安北郡とす、佐伯郡お分て二郡とし、東お佐東郡、西お佐西郡とし、沼田お廃して豊田に併せ、高宮お廃して高田お広くす、されど八郡の数は変ぜず、厳島棚守家に蔵せる長元永承間の国解、みな安南、安北、佐東、佐西の郡名お載て、沼田高宮は見えず、其時既に八郡たり、蓋二大郡お分ちて二小郡お廃し、戸口の多寡お均くせるにや、但故府田所家に蔵、保安比の免田牒に、吉田郡ありて、沼田郡なければ、九郡とす、又豊田郡楽音寺古神名帳には、沼田吉田二郡倶に存し、余郡猶八名あれば、そのかみ十郡の制亦証とすべきに似たり、然に吉田郡は他書に見へず、おもふに高宮の名忌み避ることありて、一時権に置き、易ふるに吉田お以せるにや、今高田郡の内に吉田村あり、即古の高宮郡の地たり、寛文四年、郡名復古の命ありて、安南、安北、佐西、佐東の称お止めて、安芸、佐伯とし、沼田、高宮の名も再出て各一郡となりければ、和名抄所載八郡の称には腹しけれど、安北は高宮となり、佐東は沼田となりければ、安芸佐伯二郡は、各その故境の半お失ひ、沼田高宮も亦みな其故地にあらずとて、高田豊田二郡は、沼田、高宮の地お併せもちて返さゞりければ、郡名は古に復しけれど、名実相乱る是憾むべきのみ、今時定る所の郡の次第は安芸、沼田、佐伯、山県、高田、高宮、賀茂、豊田、府城に近きお首とし、左施して東に終るなり、猶各郡に詳なり、