[p.0658][p.0659]
芸藩通志
七十八安芸
賀茂郡 疆域形勢〈風気沿革附〉 賀茂郡は上古京都賀茂神領の地なるお以、此名お得たりといふ、〈◯中略〉藩府の東七里許にありて、安芸豊田二郡の間にあたれり、広七里許、東は下野村より西は津江村に至る、袤四里余、南は三津村より北は造賀村に至る、四隣東北は豊田郡、西は安芸郡、西北は高田、高宮二郡、南は海なり、西条四日市お以郡本とす、 当郡東北及び西は群山環り峙つ、南一面は海に沿ひ、安芸豊田の諸島に対す、群の諸水は多く北より南に流れ、黒瀬川お大なりとす、陸路には西に瀬野大山、東に瓦迫、中に松子山あり、海路は西に猫門ありて、東は隣郡高崎の門に通ず、皆其険要なり、〈◯中略〉 按に当郡沿革考べからずといへども、倭名抄所載当郡郷名に入農造果といへるあり、入農は今の豊田郡入野村是ならむ、古賀茂の地にて、後に豊田に入れるなるべし、造果は今の造賀なるべし、此村今賀茂豊田両郡の界にありて、双方各同名の村あり、然るに倭名抄の造果当郡にのみ係て、豊田になければ、是又むかしは皆当郡の所部なりしにや、是古今疆界の異るなり、且吉名木谷二村、今豊田に隷すれど、其他は遥に豊田お離れて賀茂の内に挿入たれば、かの二村も古は当郡の地なりしや、或は此あたり、上古沼田郡の内、今の豊田の地に接きしにや詳ならず、姑く記して後考お俟のみ、