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芸藩通志
八十七安芸
豊田郡 疆域形勢〈風気沿革附〉 豊田郡は国の東辺にありて備後と界す、藩府お距ること十三里余、当郡の名、延喜式、拾芥抄には沙(ます)田とあり、倭名抄の註に今沙改豊とあり、嘉名に改められしなるべし、郡の広四里、東は沼田下村より、西は田万里村に至る、袤三里半、南は忠海村より、北は大草村に至る、此余海上生口大崎大長豊島などの諸島、みな当郡に属す、四隣東北は備後国御調、世羅、三次三郡、南は海上にて、伊予の島嶼に接す、西は賀茂、高田二郡なり、沼田本郷駅お郡本とす、〈◯中略〉 按に倭名抄所載の郷名によりて考るに、上古の豊田郡は西北の方のみにて、東南の地、過半は沼田郡なり、中古いかなる故にや、沼田の名お廃して、其地お豊田に併せければ、当郡の地は大に上古の地に増しぬ、又入野のあたりは、古賀茂郡に属し、造賀も亦賀茂郡造賀村の一谷別れて、此郡に入りて一村おなせり、又土所小林中野三村お今土倉郷とよぶ、此地は御調郡羽倉村に連りて旧は一郷のよし、然ば昔は土倉郷は御調郡に属せしが、抑御調の羽倉村当郡に入しにや、又吉名木谷二村離れて賀茂郡の内に在ることも亦疑べし、