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芸藩通志
六安芸
広島府 疆域形勢 広島府は地安芸沼田二郡に宣る、大抵京橋川より東は安芸郡、西は沼田郡なり、旧称五箇庄、〈◯註略〉其広島と名けしは、その地広く四方水にて摎れるお以なるべし、俗伝る説あれども今取らず、抑此府は天正文禄の比、毛利氏数州お并呑して、高田郡吉田に在しが、その地狭く且辺僻なるおもて、新にこの城郭市邑お創造して移り居しが、慶長庚子、〈◯五年〉福島氏これに代り、ます〳〵城池お修め、遂に全備に至る、元和丙辰、〈◯二年〉本藩紀伊より封おこヽに移し給ひ、すべて旧制に依り、おのづから一藩の鎮府となり、永く帯礪の盟お保てり、府の地広平沃衍にして、四方皆封内の郡邑なれど、三隅は岡嶺立並びて府お護衛し、南の一隅は江海外に環り、島嶼宣帯して遥に屏障おなせり、巨川北より来り、直に郛郭お衝くが故に、城北にて数派に分ち、水勢お殺げり、城の左に二派、右に三派お通ず、本末東西の別ありといへど、並に南流して海に入る、城南更に二港お鑿ち、海に通じて舟運に便す、四民繁殖百貨輻湊し、実に中州の重鎮にして、山陽第一の都会たり、