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紀伊続風土記
一提綱
総論 本国の地は即上世大八洲国の内、大日本豊秋津洲の最南の一区域にして、旧其大名お東の方お熊野国といひしお、後熊野お併せて、木国お以て総名とす、木国は古事記神世に、大穴牟遅神の事お書して、速遣於木国之大屋毘古神御所とある木国なり、木お以て国号とせし由は、五十猛命二妹とともに、素盞鳴尊に従ひ天降り給ひし時、樹種お大八洲国に播殖し給ふ、当国は其三神鎮坐ありし地なれば、樹木の暢茂せし事、他の国よりも殊に勝れたれば、木国とは名づけしなり、又熊野の名も山林鬱茂の義にして、五十猛命の父神櫛御気野命〈素盞鳴尊の一名なり〉の鎮まり坐せる地なるより其名起れり、〈◯註略〉木国の名と其義の本づく所は一なり、木は其物お以て名づけ、熊野は形状につきて呼ぶなり、〈◯中略〉美材の出る事、今に至りても、他の国に勝れたれば、木の国と名づけし、誠に称へりといふべし、元明天皇和銅五年、文字お紀伊国と改めらる、故に日本書紀神代巻以下、当国の名お皆紀伊国と書す、神代巻に伊奘冉尊崩御の事お書して、葬於紀伊国熊野有馬村焉とある、此本国の事の史に見はるヽ始なり、