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日本地誌提要
五十九紀伊
沿革 古へ国府お名草郡に置、〈今の直川(なうがは)荘府中村〉鎌府の初、佐原義連お以て守護とす、延元正平の際、州豪湯浅、保田、貴志輩、多く官軍に応ず、足利尊氏、畠山国清お以て守護となし入侵す、官軍の将四条隆俊、名草郡に駐て州兵お招諭し、楠正儀と相控援して、国清お御ぎ、阿瀬河堡に保つ、後官軍の衰る、足利氏、山名義理(まさ)お以て守護とし、藤白(ふじしろ)〈名草郡大野荘〉に治す、元中の末、其族満幸と倶に叛す、将軍義満、大内義弘おして之お討ぜしむ、義理逃亡す、義満因て本州お以て義弘に賜ふ、応永六年、義弘誅に伏し、畠山基国代て守護となり、河内に居て之お併領す、文安中、楠氏の余裔、皇孫義有王お奉じて、湯浅城〈在田郡〉に拠る、畠山氏擊て之お平ぐ、其国の曾孫政長、義就、嫡お争ふに及びて、州族各之に分属す、政長の子尚順、義就の子義豊お滅し、河内お子植長に譲り、来て広城〈在田郡〉に居る、大永の初、州人湯川直光叛て尚順お逐ふ、天文中、堀内氏虎、牟婁郡の諸族お脅制し、新宮に居る、永禄の末、尚順の孫高政、遂に河内お棄て来奔す、根来、雑賀の党、高政の従子貞政お奉じて州主とし、岩室城〈在田郡〉に居る、天正の初、堀内氏善〈氏虎の子〉伊勢の北畠氏と戦ひ、志摩の三郷お取る、〈曾根浦以東の地是なり、爾後遂に牟婁郡に属す、〉十三年、豊臣氏将お遣て地お略す、貞政出亡し、氏善降附し、故封お保つ、豊臣氏、畠山氏の故地お以て、其弟秀長に加賜す、其子秀俊卒して国除す、和歌山お桑山重晴に賜ふ、関原役後、堀内氏善の封お収め、桑山氏お大和に徙し、浅野幸長お全州に封ず、元和五年、其弟長盛、安芸に徙り、徳川頼宣代て封ぜられ、和歌山に治す、安藤直次に田辺お賜ひ、水野重仲お新宮に封じ、以て其相となす、皆世襲す、王政革新、田辺〈安藤直行〉新宮〈水野忠幹〉直に藩列に加はる、既にして皆改て県となし、又廃して和歌山一県に併す、