[p.0760][p.0761][p.0762][p.0763]
玉勝間

紀の国の名どころども 待乳(まつち)山は、大和国の堺にて、紀の国伊都郡なり、角田(すみだ)川は、待乳川のことなるべし、此川みなもとは、葛城山のうちより出て、北隅田庄お流れて、きの川におつるなり、紀の関は、和泉国よりきの国の名草郡にこゆる雄山に在て、南のふもとなる山口村にちかし、由中抄に、雄山の関守とあり、白鳥関といへるも、此関のことなるべし、名草山は紀三井寺の山なり、飽等(あくら)浜は海士郡賀田浦の南の方に、田倉崎といふ所ある、是なりと、里人のいひ伝へたりとぞ、吹上の浜は若山の西南にて、若の浦の北なり、雄水門は今若山の内に、湊といふ所に、小野町といふ有て、蛭子の社ある、そこに雄之芝(おのしば)といふあり、五瀬命の薨ましヽ跡也といへり、小野町といふも、もと雄の町なりといへり、此蛭子社に吹上社といふおも、並べ祭れり、或説には、吹上社は、関戸村の矢の宮なりともいへり、雑賀(さか)浦は、海士郡にて、雑賀庄とて広き所なる其中に、若の浦の西の方に雑賀崎といふところ有、此わたり雑賀浦なるべし、浦の初島は同郡浜中庄椒(はじかみ)村の八町ばかり海中に、地の島といふ有、東西四町あまり、南北八町ばかりの島なり、其島の三町ばかり西に又島有て、沖の島といふ、東西五町に、南北六町ばかりあり、此二つの島お、浦のはつ島といふ、小為手(おすて)の山は、在田郡山保田庄に、推手(おしで)村といふあり、これか、其村は伊都郡の堺にて、山のおくなり、白崎は、日高郡衣奈庄衣奈浦の東南の方に、衣奈八幡といふある、其社の縁起に、白崎といふこと見えたり、三穂の岩屋は、同郡三尾村の廿五町ばかり東南の海べに在、岩屋の中に、石の観音の像あり、熊野道のうち、日高川塩屋浦のあたりより、西の海べに、一里ばかりの長き松原有て、和田松原といふ、此岩屋は、その西の際なり、野島阿胡根浦は、同郡塩屋浦の南に野島里あり、その海べおあこねの浦といひて、貝の多くよりて集まる所なり、切目(きりめ)山は、同郡熊野道の海べにて、切目坂、切目浦、切目村あり、山は村より一里ばかり東北なり、村の北に切目王子の社も有、磐代は同郡なり、切目お過て、切目川有て、次に磐代なり、西岩代、東岩代とて村有、岩代王子社、海べにあり、千里浜は、岩代の南の辺より、南部までのあひだ、一里半ばかりのところおいふ、むかし元弘元年七月三日、大地震にて、きの国千里の浜廿よ町がほど、たちまち陸となれるよし、太平記にしるせり、三名部(みなべ)は、岩代の南なり、三名部村みなべ浦あり、その十町ばかり海中に島有、これ鹿島なり、さて三名部の南に、堺浦といふ有て郡堺なり、そこまでは日高郡、それよりあなたは牟婁郡なり、礒間浦は、田辺の玉宿村の南、神子浜つヾきにあり、神島は、その一里ばかり海中にありて、かしまともいへり、白良浜は、湯崎鉛山と瀬戸とのあひだに在て、里人は白浜といへり、此浜の真砂、遠く見れば雪のごとし、神蔵山は、新宮より二町ばかり東南〈一書には西南〉に有、社の説に、天照大神と、高倉下と、二神お祭といへり、石の階お、六間ばかりのぼりて、上に堂有て、地蔵の像お置りといへり、それお神倉権現といひて、其外に社はなし、かの高倉下命の、神剣お得たりし地は、こヽなりとぞ、熊野村は、新宮に、上熊野、中熊野、下熊野とて、三村あり、三輪が崎は、新宮より那智へゆく道の海べなり、新宮より一里半ばかりありて、けしきよき所なり、佐野は佐野村といふ有て、三輪崎のつヾきなり、佐野岡は、村より七八町北にあり、玉の浦は、那智山の下なる、粉白浦といふところより、十町ばかり、西南に有、離小島といへるは、玉の浦の南の海中に、ちりぢりに岩あれば、それおいへるなるべし、其外には島はなし、熊野御崎は、那智山の下浜宮よりゆく海べの道お、大辺地といふ、その間に上野村といふあり、海中へ長くつき出たる崎にて、塩の御崎とも塩崎浦ともいへり、三前神社あり、少彦名命お祭る、此所の海は、のぼり潮くだり潮とて、年お重ねて、片潮に流れて、しほの満干にかヽはらず、いと早く流るれば、海お渡る船人の、いたくおそるヽところなり、有馬村は、新宮より北の方へ、伊勢の方へ五里ばかり行て、木の本といふ所の、廿町ばかり南にあり、そこに産田神社、又花の窟あり、里人訛りて、大般若の窟といふ、此窟の山、高さ廿四五間、周三町ばかりあり、此窟は伊邪那美尊お葬奉れる所といふお、又或説には、いざなみの尊お葬奉れる所は、産田神社にて、花の窟は火神なりともいへり、楯が崎は、木本庄二木島といふところより、一里ばかり海中にあり、むかしは此所伊勢と紀の国の堺なりしと、里人いへり、錦の浦は、長島庄長島村の一里ばかり東なり、此地むかしは志摩国なりしとぞ、上件礒間浦よりこなたは、皆むろの郡なり、そも〳〵此きの国はふるき名どころども多くして、万葉集にも殊におほく見えたるお、世の人は、いづれの郡にありとだに、えしらぬ所々の多かるお、此国にては、かくれなくて、みな人よくしれるなど、又さらぬも、書どもには、みなしるしたるが、見過しがたくて、その大かたお写しおきつる中に、たしかならぬさまに聞ゆるおば、みなもらして、さもありぬべくおぼゆるかぎりお、それかれとえりいでヽ、しるせるほどに、此巻は、すヾろに、きの国の名所集のやうにぞなりぬる、〈◯下略〉