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源平盛衰記
三十九
維盛出屋島参詣高野附粉川寺謁法然房事 権亮三位中将維盛は、〈◯中略〉さても御舟に乗移り給、〈◯中略〉八重立霞のひまより、御船汀に押寄たり、援はいづこなるらんと尋給へば、名にしおふ紀伊国和歌浦とぞ聞給、夫より吹上の浦お過給けるに、一門お離、兄弟にも知(しら)れ子ば、一は恨に似たれ共、かヽらざらましかば、係名所おば争か可見と聊慰給けり、彼和歌浦と申は、衣通姫と居、山の岩松礒打波、沖の釣船月の影、しらヽの浜の真砂に、吹上の浦の浜千鳥、日前国懸の古木の森、面白かりける名所哉、されば衣通姫、玉津島姫明神と彰て、此所に住給へる理也とぞ思召、〈◯下略〉