[p.0766]
古事記伝

淡道は南海道の淡路国なり、和名抄に阿波知(あはぢ)、書記、応神天皇の大御歌に、阿波旎辞摩(あはぢしま)とあり、〈後に国となりても、なほ淡路島とのみ雲ならへり、隠伎、佐度も然り、〉名義は、阿波国へ渡る海道にある島なる由なり、〈京路山跡路(みやこぢやまとぢ)など雲は常なる中にも、万葉に筑紫路土左道(つくしぢとさぢ)ともよみ、又山跡道之島(やまとぢのしま)ともよめれば阿波道之島(あはじのしま)うたがひなし、又津島(つしま)の名の意も似たるおおもへ、〉さて次の国々の例によらば、生子淡道島、亦名謂穂之狭別とあるべきお、此島のみは、古より亦名おも引連て、唱来しなるべし、