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淡路常盤草
六三原郡
養宜故邸 中八木にあり、大土居と称す、邸地東西六十歩、南北百二十歩許〈◯中略〉按るに源右大将鎌倉に幕府お開きてより、諸国に守護職お置り、養宜の邸も一国の守護所なり、〈◯中略〉仁治四年〈今年寛元と攺名す〉僧道範が道の記に、養宜の国府と書たり、是は北条経時〈時頼の兄〉執権の時なり、然ればこれより先に、既に養宜の守護所ありし也、此時朝廷の政令行はれず、古の国府は、倍衰廃して、養宜の地、国府の如く書しなるべし、〈◯中略〉 市村 旧と国府の市といふ、古の国府の地なり、市場の止有因て名く、榎並十一け所三条とともに国府の地也、〈◯中略〉 国司館止 市村の中に、地名国衙といふ所あり、是国司館の故止なるべし、