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南海通紀
十一
三好家兵将発向讃州寒川記 此とき長曾我部氏、阿州宍咋海部より仁宇の山桑野に至まで南方二郡お取り布き、七城お抜て、香曾我部親泰お郡代として、茂木の城に居置て帰る、十河存保三好長治は、堺より書お送て曰、今度長曾我部阿州南方二郡お掠むる事は、是讃州寒川が領お奪んとする費にあり、讃州お取ざる分は国の禍有るべからず、南方お取るヽは阿波の国の破となる、