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南海通紀
十一
土佐元親出陣阿州記 此海部郡は山中灘目遼遠にして二十余里に迄(いたり)、村落百有余あり、由岐四村、木岐四村、日和佐八村、牟岐十三村、浅川五村、木頭廿四村、相川八村、海部十三村、宍咋十九村、凡如此也、灘目椿泊は那賀海部の境也、〈◯中略〉椿水崎は海部の内也、紀州白井の水崎へ十里あり、 由岐浦、舟かヽり悪し、灘目九村あり、日和佐浦入海あり、舟繫悪し、那賀郡境より是まで五里あり、牟岐浦舟かヽりなし、日和佐より二里あり、沖の方三里にして牟岐の大島あり、 浅川浦入海あり、〈◯中略〉牟岐より一里あり、 鞆浦舟かヽりあり、浅川より一里あり、那賀郡荒田村より是まで十三里あり、 海部木村吉田城地也、那佐の入海あり、〈◯中略〉 宍咋浦那佐の海辺也、山中村里十里相つヾく、鞆浦より一里十六町あり、宍咋より国境へ二十三町、是土州本道なり、牛馬相通ず、撫養の浜より是まで二十六里あり、又那賀郡山口村より海部の中間に路あり、国境まで十八里あり、皆山中険厄の地なり、海部氏上世より此地お領する事、其幾ばく年お不知、〈◯下略〉