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南海通紀
十一
阿州大西覚養降土州元親記 此大西(○○)と雲は、土佐の岡豊の舟渡お過て山中七里と雲へども、道筋難所にて力業にては行がたき所也、先づ上名の橋と雲は、大木一本に割(きざ)み形お付て打渡、其上お往来す、其先に西宇とほげとて三里の大難所あり、此路は岩滑に少宛足かヽりお切付、又梯に少づヽ割お附て懸け、漸く一人づヽはひ渡り通る、他左空穂(うつぼ)、犬帰り、聖り諦せなどヽ雲切所あり、其路より下お見れば、川滝千尋計に見ゆる故に、気もすみ渡り心も消々として、山路になれざる者は一足も行事ならず、〈◯下略〉