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南海通紀
十三
土佐元親出陣阿波大西邑記 天正五年春、阿波国内乱して三好屋形長治同州別宮にて自殺し給ひて、逆臣井沢一宮と屋形の旧臣と雌雄お諍ふ半なれば、元親此時節お得て、阿波の大西へ兵お出さんとす、〈◯中略〉元親不戦して大西の邑お取り、広地に入て険要の城邑お得たり、此地お踏へては、阿波讃岐伊予三け国へ動く故に、其根お固して兵力強し、是その地利お得る者也、嘗て論ず、此大西の山邑は、四国の中間に在て、東西二十余里の山間なり、土佐より是お得てこれお保つ時は、三け国の兵お合ても攻べからず、又三け国へは出るには利あり、又三け国は何の国より持ても兵お用るの益なし、其地お得るには、分別あるべき武士に問ひ給へ、僧何おか知らん、先に君我が言に依て阿州半国お得給ふ、予岐両州も亦年数お不経して治給ふべしと申ければ、元親悦喜して愈計略お回し給ふ、