[p.0823]
全讃史
一都邑
上古国府 倭名抄雲、国府在阿野郡、 阿野郡の何処に有事お知人希なり、因て考るに、今の府中は古へ国府有お以て雲ならん、古は此地お甲知と雲、日本書紀には河内と雲、是古名ならん、河内甲知国音同じ、然るに其府の所、定かに知がたし、按ずるに、菅家文草雲、予初莅境巡視州府、府之少北有一蓮池、蓮池とは今の国分村の関の池なり、余〈◯勝鷹〉が壮年の時迄は猶蓮子多かりき、今はなし、又雲、関法寺在府衙之西、此二つお以て考れば、蓋し今の新宮の辺より綾河に跨て有と見ゆ、余往年新宮の山にて、古瓦の全形なるお得たり、甚偉矣、是古府の瓦ならん、此府讃留霊王より元弘建武の頃まで、王政の間の治府なり、